1. 病院からの帰路と、最初のミッション(安否確認) ドライバー様を済生会病院へお送りし、診察室へ入られたのを見届けて病院を後にしました。
実は発災直後、福岡におられる知人(近所の方の息子様)から連絡をいただいていました。ご両親が目が不自由であったり病気療養中であったりするため、安否を確認してほしいという依頼です。事故現場での救助を終えた私は、一刻も早く宇城市の拠点へ戻り、ご近所様の確認に向かう必要がありました。
国道3号線を南下して宇城へ向かう途中、すでにあたりは暗くなり始めており、宇土市に差し掛かるあたりから路面の荒れや停電が目立ち始めました。ごった返す渋滞を抜け、午後8時過ぎに自宅へ到着。幸いにも家屋は倒壊しておらず、「これで1ヶ月は単独で動ける」と安堵しました。
すぐにご近所の玄関先へ伺いました。お返事はなかったものの、事前に電話で無事を確認できていたこと、玄関内の足元が整っていたことから「疲れて休まれているのだろう」と判断し、息子様へ報告を入れました。
2. 直面した自宅の惨状と、届いた友人からのSOS
自分の家に足を一歩踏み入れると、そこは想像を絶する光景でした。 通路脇の本棚から大量の本が崩れ落ち、台所では冷蔵庫の扉が開いて傾き、中身が散乱していました。足の踏み場もない状態でしたが、幸い電気が通っていたため、まずは飛び出た食材を突っ込んで冷蔵庫の扉を閉めました。
しかし、片付けをする余裕はありませんでした。病院の駐車場で車を待機させている際、人吉の友人から緊急の連絡が入っていたからです。
友人は熊本市内の病院からの帰り道、八代IC付近で地震により高速道路に段差ができ通行止めとなり、逆走の形で一般道へ下ろされたものの、大渋滞に巻き込まれて動けなくなったとのこと。携帯のバッテリーは残り数パーセント、燃料もほぼ空で、夜盲症(夜間に目が見えにくくなる症状)を抱える彼は暗闇の中で立ち往生していました。
私は農作業用に車載していた20リットルのガソリン携行缶と、モバイルバッテリーを準備。「時間は読めないが、必ず向かうからその場で待機してほしい」と伝え、八代へと車を走らせました。
3. ルートの選択:リスクと時間の天秤 宇城から八代へ向かうルートは主に3つありました。
- 国道3号線:最も内陸だが、混雑が最も激しいと予想。
- 県道14号線:旧国道で道幅が狭く、沿道の古い家屋の倒壊リスクが高い。
- 海沿いの県道:津波警報時のリスクはあるものの、当時の状況下で最も早く到達できる可能性が高い。
津波のリスクと高低差を慎重に考慮した上で、私は「友人救出のための時間優先」を断行し、海沿いのルートを選択しました。
4. 暗闇の八代と、奇跡の合流
午後9時20分頃、八代市に入ったものの、市内は全域が停電で漆黒の闇に包まれており、猛烈な渋滞が始まっていました。
友人は夜盲症のため周囲の看板も読めず、たまたま立ち寄ったファミリーレストランの駐車場で店員さんに住所を聞き出し、メッセージで送ってくれました。ナビ上の距離はわずか7km。しかし車はピタリと動きません。「必ず行くから動かずに待っていてくれ」と伝え、地理感を頼りに裏道へ迂回しながら進みました。
友人と無事に合流できたのは、夜の11時半頃。実に7kmを進むのに2時間以上を要しました。 バッテリーが切れる寸前だった携帯に充電器を繋ぎ、まずは一安心。友人の車がハイオク仕様であったため、レギュラーガソリンの給油は見送り、別の避難方法を模索することになりました。
5. 夜を徹した誘導と、宇城への帰還 鏡町におられる友人の親戚宅へ避難させてもらうことになり、私が先導する形で移動を開始しました。
「ハザードランプがついたら路面に段差がある証拠。スピードは出さないから、僕のテールランプだけを追ってきてほしい」
友人にそう伝え、時速10〜20kmの徐行で進みました。鏡町に入ると道路の埋没や住宅の損壊が非常に激しく、惨状を目の当たりにした友人は「親戚に気を使わせるのは申し訳ない」と気遣い、最終的に私の自宅へ避難することになりました。
再び暗闇の悪路を慎重に引き返し、宇城の自宅へ帰り着いたのは翌朝の午前2時過ぎでした。
足の踏み場もない部屋でしたが、2人が歩けるだけの動線を即席で確保し、汗を流すためのシャワーを案内しました。夕飯を食べる余力もなく、泥のように横になった私たち。こうして、7月28日の長く激しい一日は幕を閉じました。

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